自分責めよりもっと奥にあるもの

Abstract painting with vibrant splashes of blue, red, yellow, orange, purple, and green

初めてカウンセリングを受けた頃、精神的にかなり参っていた。
二人目が生まれて、育児に介護に忙しかった時期だ。

やることに追われ、自分を監視しながら、頭の中はいつも自分責めの言葉でパンパンだった。

「育児も家事もバランスよくやらなくちゃ」
「もっとできるはずだ」
「なんでそんなこともできないの?」
「いいお母さんじゃないね」
「介護もちゃんとできない親不孝者」

今思い出すだけでも頭が痛くなる。こんな自己否定の念が常にぐるぐるしてたら、そりゃ生きてるのもしんどいわな。
良い母、良い妻、良い娘。いくつもの仮面をかぶって自分の首を絞め、窒息寸前状態だったのだ。

良い母になりたいのに、子供が泣くとイライラして怒鳴りつけてしまう。
良い妻でいたいけど、気が利かない夫に八つ当たりしたくなる。
良い娘を演じたいけど、呆けていく親に優しくすることができない。

ちょっとずつ小爆発を起こしながら、私は良い妻、母、娘からはほど遠い、中途半端で罪悪感まみれの苦しい年月を過ごした。今思うと、よく壊れなかったなと思う。堪忍袋のデカさだけが自慢の私である。

そしてある日、ふと目に入ったカウンセリング広告に申し込んだ。きっと大号泣するんだろう、そう思いながら指定の場所に向かった。しかしその先に待っていたのは、全く真逆の体験だった。わたしは、自分のあまりの図太さに、込み上げる笑いを抑えきれず、ホテルのラウンジで大笑いしたのだった。
なぜそんな流れになったのか忘れてしまったが、罪人だと自分を責め、呪い、悲嘆に暮れていたはずの私は、自分の奥底にものすごい太々しさと生命力が蠢いているのを発見し、世界がひっくり返ってしまった。

「私は大丈夫。何があっても死なないし、なんとか生きていくだろう」
そんな力強い感覚を、自分に抱いたのは初めてだった。頼りないはずの自分が急に頼もしく感じた。その感覚は今も私の中にある。すぐに忘れてしまうけれど、「もう無理!今度こそだめだ」と思った瞬間にふと思い出すのだ。「いやいやいや、わたし、そんな弱っちいタマじゃないでしょ」と。

なんだこの話。タイトルを決めた時には、こんなことを書くつもりじゃなかった。自分責めの奥にある、もっと深い無意識の自分虐待について書くつもりだったのに。手が勝手にこんな内容を書いている。

無理やり結論めいたものを書くなら、私は、「いま人類は、力を取り戻すプロセスの佳境にいる」と思っている。「人類は」とか言っちゃうと大袈裟だけど、でもやっぱり人類レベルでわたしたちは、その課題に取り組んでいると思う。

資本主義や科学至上主義、複雑な時事情勢の中で、私たちは他人の評価を気にして、「自分は欠陥商品であり、罪人であり、このままでは存在してはいけない人である」と思い込まされてきた。成績、年収、好感度、体型、知名度やその他あらゆるモノや数字で、その欠陥を埋めなければならないと脅迫的に自分を追い込んできた。

しかし昨今、「そのままでいい」「色々いていい」「欠点と言われてたものは実は個性」みたいなカウンターモードが、綺麗事では収まらないレベルで大きく巻き起こっているのは皆さんご存知の通り。渡辺直美ちゃん然り。LGBTQの方々然り。いろんな発信者が、「完璧じゃない自分」というものを堂々と楽しげに表現できる世の中になりつつある。

それが良いか悪いかはさて置き(個人的にすごく良いことだと思う)、これは抗い難い今後の人類の流れなんだと思う。そして、この流れが加速するためには、「なんかわからないけど、自分の奥底に渦巻く太々しくて図太い生命エネルギーを取り戻すこと」が必要なんだと思う。

パワーは元々わたしたちの中にある。ただそれを封じ込められてきただけだ。個を殺し、皆と同じであれ、と教え込まれてきただけだ。

本当はみんなバラバラでいびつで、全く枠に収まらない、ユニークなパワーを持って生まれてきた、ということを体感として思い出すだけでいいのだ。

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