ひびきあう光たち

5年前わたしは、ここ湘南に引っ越してきた。

海に近いのんびりしたエリア。

人も空気もゆるくて心地よい。

慣れないことも多かったわたしは、

なんとか早く馴染みたくて、

子供の学校のPTA役員に、

ガラにもなく立候補した。

今思うと、よくやった私!という気分だ。

だって、そこで出会った仲間が、

なんとも不思議で面白いメンツだったから。

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なんだろう。

以前住んでいたエリアにはいない感じの人たちだった。

ママっぽくもない。

自由に、好きに生きている。

当時の私にはそれがとても新鮮だった。

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ある日、飲みに行こうという話になって

地元の店に集合してみたら、

なんだか異様に盛り上がり、

学生以来のすごい酒量になった。

みんなベロベロだった。

(帰りに4人中3人が自転車で転び、流血した)

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ベロベロになりながら、

仲間の一人がこんな宣言をした。

「趣味でやってきた写真を、

もっと本格的にやってきたい」

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みんなの盛り上がりは最高潮になる。

いいやん!やりなよ!

酔っ払いの無責任な応援だったけど、

みんな本気で盛り上がっていた。

大人になって、就職して、母になった

いま、そんなふうに夢抱けるって、

なんかめっちゃいいやん。

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あれから5年

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彼女は夢を叶えた

しかも最高に望み通りの形で

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その作品は、

私の思う「写真」の枠を超えていた

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見たままを映すのではなく、

感じたままを映す

物質ではなく、

その対象が纏うエネルギーを映す

彼女の心で見た光景を、

映像として転写している、そんな感じ

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そこに映るのは、

「江ノ島の海」とか「〇〇さんの後ろ姿」とか

「○月○日の夕日」という記号ではなく、

そこに現れる ’いのちそのもの’ な気がした

上も下もない

名前も意味も解釈も

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そこにあるのはただ、震えであり響き

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その響きは

静かに

しかし力強く

心を揺さぶるのだ

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5年という歳月の中で、

彼女がどれだけ誠実に写真と向き合い、

自分と向き合ってきたのか

自分の表現したい世界を

決して雑に扱うことなく

真摯に追求してきたのかが

ひしひしと伝わってきた

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彼女にしか映せない世界

美しく、儚く、力強い

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生命そのもののように

光を発する写真たちを、

しばし無心に眺め続けた

本当に静かで美しい空間だった

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最後に彼女が言った

「やっとここまでこれました」

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この言葉に、熱い想いが込み上げた

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素晴らしい表現をありがとう

望む世界を

自ら創り出す姿を見せてくれてありがとう

そして大きな一歩をおめでとう

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